気候変動と人類史
人類史とは、気候変動との戦いだった。
いや、戦いである。
そして、それへの対応を誤れば、国などいとも簡単に吹き飛ぶ。
これは、世界史を通じて常に繰り返されてきたことだし、今後も…
国は、国を存続するために、何をおいても「食」について守らなければならない。
はずなのだけれども。
この記事のなかに、
食糧法を盾にそういう形でのコメの買い上げはできないと突っぱねているんです。3.11の復興支援でもそうでした。法律や制度は本来、人々を救うために設けられているのに、緊急事態にあってそれを理由に支援を拒み、国民を苦しめている。本末転倒ですし、日本の政治行政の冷酷性が表れています。
という箇所がある。
日本の政治行政の冷酷性。
これは昨今、至る所で見受けられる、と思う。
実家が農業に携わっているので、現状がよくわかるのだけれど。
米余りで米価が下がり、困っている農家
と
有り余る米を食べられない人たち
が共存している状況は、最悪だと思ってしまう。
ここに気候変動など起ころうものなら、対応できるとはとても思えない。
でも、今の行政に期待できるともあまり思えないので、日本で6年間高校で世界史を教えていた責任と、いずれ日本で大学の歴史教育に携わりたいという思いから、気候変動と人類史、をテーマに語っていきたい。
主要参考文献は、ブライアン・フェイガンのClimate Chaos。
ブライアン・フェイガンの気候変動の本は日本語訳されているものもあるのだけれど、これは9月に出版されたばかりのもので、翻訳がまだない。
ので、翻訳作業をしつつ、その翻訳したものをこのブログに載せてその注釈なども作っていきたい。
アメブロではゆるゆるとロンドン生活や世界史について書いているのだけれど、こちらではもっぱら気候変動にまつわる話を書いていきたいと思う。